近江商人に学ぶ 「三方よし」の考え方 商売繁盛の心構え
こんにちは、ワッカです。
今日は 江戸時代中期に活躍した近江商人の考え方について学んでいきたいと思います。
近江商人は時代や社会が変わっても、常に世間を重視する視点で商いを続けてきた商人で、素晴らしい考え方を持ち続けてきました。
近江商人(おうみしょうにん、おうみあきんど)または江州商人(ごうしゅうしょうにん)、江商(ごうしょう)は、主に鎌倉時代から昭和時代(特に戦前期)にかけて活動した近江国・滋賀県出身の商人。大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つである。[1]現在でも俗に、滋賀県出身の企業家を近江商人と呼ぶことがある。通常、近江国外に進出して活動した商人のことを近江商人と言い、活動地域が近江国内に限定される商人は「地商い」と呼ばれて区別された。
1.三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」
この三方よしは、売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに、商いを通じて世間への貢献をするべきという考え方です。
この三方よしの考え方のもととなった理念は麻布商、中村治兵衛が宝暦四年(1754)70歳の時に書き記した『家訓』にあります。
『家訓』第八条には
「他国へ行商する際、すべて自分のことのみ考えずに、その国のすべての人々を大切にして、私利を貪ってはならない。仏様のことは常に忘れないようにすべきである。」
と記されています。さらに
「自分のことよりも先ずお客のためを、思って計らい、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら持ち下り先の地方の人々のことを大切に思って商売しなければならない。そうすれば、天道にかない、身心とも健康に暮らすことができる。自分の心に悪心の生じないように仏様への信心を忘れないこと。持ち下がり行商に出かけるときは、以上のような心がけが一番大事なことである。」
と記されています。
この理念を戦後の研究者が分かりやすく標語化し、「三方よし」と名付けました。
中村治兵衛は、自分だけではなく、買い手、そして世間が満足してこそ商売であり、また天道に沿う生き方だと考えました。
この考え方は現代のwin-winの考え方にとても近いものがありますね!
2.先義後利栄 好富施其徳
この言葉は 義を先にし、利を後にすれば栄える。そして、その得た富に見合った徳(善行)を施しなさい。という意味です。
商いは、『先に義を行い、利潤は後からついてくる』という考え方は近江商人全体の考え方でした。特に近江商人西川利右衛門は家訓の第一に義理人情を掲げています。
やっぱり真の商売人と呼ばれる方々はすばらしい考え方を持っているようですね!
3.始末してきばる
「始末してきばる」の「きばる」は頑張るという意味です。
「始末」とは単なる倹約のことではなく、たとえ高くつくものであっても、本当にいいものであれば長く使え、結局は得をするというという意味です。
近江商人たちはこの「始末」ということをとても重視していたようです。
彼らは目先の損得にとらわれず、物事を長期的にとらえるという考え方を持っていました。
近江商人の塚本定右衛門は飢饉の時には、多年の蓄財を村の貧しい人々に放出しました。持っている土地に桜や楓を植えて、貧しい人々が花見ができるように公園をつくり、砂防工事や山林工事を行ったり、学校をつくり、ともかくスケールが大きい人間でした。
大規模な植林工事を行うなどして治水・治山の父ともよばれ、偉大な商人として勝海舟は「氷川清話」に記しています。
彼がこのようなことを行ったのは、何十年、何百年を見据えての事でした。
『自分が生きているうちには完成しないかもしれないが、将来きっと大勢の利益となるだろう』彼はそのようなことを考えたらしいです。
やっぱり真の商売人が考えるスケールの大きさはハンパではないですね!
このように近江商人の考え方は、素晴らしいものがとても多いですね!
私たちも近江商人の生き方を参考にしたいですね!